三菱大夕張鉄道 転車台に乗るNo4を撮る
なんとも風情があって、昭和そのものの一コマだわ!
閉山反対ペイントは痛いが、これも石炭から石油へと時代が移り変わってゆく
記録として見れば、「これはこれで良かったのだろう」と少年の影は語ってる・・・
C56の様なテンダーを持つNo4の奥に居るのはNo5ですね。

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三菱大夕張鉄道 No4のギラリを撮る
前掲の運転席写真はNo4では?と教えて頂きましたが、このコマが次なので
たぶんNo4の運転席ですね。スハニ6さん、ありがとうございました!
No4と言えばC56の様なテンダーを持った汽車ですネ!
少年は、武骨だがメカニカルな感じが美しいと考え、ギラッた写真を
狙ったのであろう。←ホントかな??(笑)
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三菱大夕張鉄道 機回しを終えたNo2を撮る
機回しを終え、給水、給炭の位置へ移動したのを撮ったのでだろう。
しかし、この頃って実際は、撮影許可なんてあったのだろうか?
機関庫をウロウロする子供たちを見て「気をつけろよ」的な声掛けぐらいは
あったような気もするが・・・今なら事件ですネ!(笑)
フイルムも9本目突入。少年は徐々に考えて撮ってる気もするけど・・・
手前の枕木は意識して入れたモノと思いたい(笑)
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三菱大夕張鉄道 機関庫の転車台を撮る
機関庫へは、大夕張炭山駅(終点)まで汽車に乗り、徒歩で行ったのか?大夕張駅で
下車し、自転車で向かったか?の何れかだな。←まぁ~そんなのどちらでも良いか!(笑)
とりあえず、自分たちが乗って来たNo2を撮りに機関庫へ向かったのである。
そういえば今回は、清水沢でD51の写真一枚のみ撮影で、完全な乗り鉄だった。
左に見える旧客は、少年たちが吊り輪体操に挑んだ会場ではないか?

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三菱大夕張鉄道 汽車を撮ったら汽車に乗り帰る
「~たら」「~れば」を言っても仕方ないけれど・・・
今の機材と機動力を持って、あの頃に戻れたらって思う今日この頃・・・
ただ、一枚の重みは昔の方が重い気がするけどね(←あくまでも個人的見解です)
訳は、モードラでシャッター押しっぱなしと、手巻き一枚切りの違い以外の何かが
ありそうだけど、それは何だろうか?
南大夕張を出発し大夕張へ向け爆煙だ!乗ってる場合ではなかったのかもネ(笑)

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